調!?
台湾編中部(2)

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☆台湾中部2(南ツオウ、ブヌン)


台東県海端郷利稲村
■俗名
南ツオウ:manman (高雄県三民郷)
      samsam (高雄県桃源郷)

ブヌン: 南投県仁愛郷
      lapuut, apuut, lagpuut
     花蓮県萬栄郷
      lapuut
     花蓮県卓渓郷
      daqput, doqput, laoput
     高雄県桃源郷、高雄県三民郷
      mahaaf, maqaaf
     台東県海端郷
      mahav
     台東県延平郷
      mahaav
■特別な利用例:塩漬け・蒸留酒につける

 台湾島の中央に居住する南ツオウとブヌンが利用するキダチトウガラシを、南投県仁愛郷(萬豊、萬里村)、花蓮県萬栄郷(馬遠村)、花蓮県卓渓郷(卓渓村、卓清村、卓樂村、清水村)、台東県海端郷(利稲村、霧鹿、下馬村、新武村)、台東県延平郷(延平、鸞山村)、高雄県桃源郷(復興村、勤和村、桃源村)、高雄県三民郷(民生村、民權村、民族村)で調べてきました。くねくねと山道をのぼってたどり着く村々。昔は徒歩だけで行き来していたことを考えると、車ってやっぱすごい、と思いました。山脈の麓で育った僕にとっては、行くところ行くところの景色が非常に馴染みやすく、山村ってすばらしいと感動していました。

・花蓮県萬栄郷(ブヌン(Bunun))
 萬栄郷馬遠村へ向かいました。村をぶらついているとおばちゃんがいましたが、何かの作業中らしくインタビューはできないと思い、小辣椒(小さいトウガラシの意、キダチトウガラシを指すことが多い)はありますか?とだけ聞いてみると、隣の家にあるかもと。そこでそこへ向かうと、その人は不在。こまったなーと思っていると、一人のかわいらしいおばあちゃんが歩いてくる。もしかしたらと思って日本語で話しかけてみると、やはり少し日本語を話すことができました。トウガラシ属のことを少し聞いていると、今から教会へ行かなければならない、詳しい話は小学校にいるおじさんに聞くといい、というので近くの小学校へ向かいました。しかし、そこにはおじさんらしき人はおらず、子供が校庭で遊んでいるだけ。今度は小学校の階段を下りたところでお酒を飲んでいたおばさんにトウガラシ属の話を聞きました。残念ながらキダチトウガラシはホームガーデンにありませんでしたが、トウガラシ(C. annuum)は植えてありました。小学生や中学生の息子さんたちは鉈を腰にさし山男の格好をしており、おとこらしく格好よかったです。山へビンロウを収穫に行く前とのことでした。おばちゃんが学校の花壇に確か小辣椒が自生しているよ、といいます。あれ?さっき行ったときには気づかなかったな?どこだろう?ということでまた学校に引き返してみると、なんと学校の正門のそばの花壇にキダチトウガラシが生えていました!生えている場所からして自生でした。夢中で写真を撮っていると、バスケットボールを持ったかわいい女の子が僕らに興味を持って見ていました。

■小学校の花壇(中にキダチが・・)

■キダチトウガラシの花(馬遠村)

■キダチトウガラシの果実(馬遠村) ■遊んでいたブヌンの少女(馬遠村)



・花蓮県卓渓郷(ブヌン)
 今日一日は花蓮県卓渓郷をまわります。池上から中央山脈と海岸山脈の間の平原を北上しました。水田ばかり。ヒマワリやマメ類、ビンロウなどもありました。玉里へ着き、卓渓へ入ると周りがスイカ畑に。卓渓には上部落と下部落があるようで、まず山側に位置する上部落へ行きました。早速畑にキダチトウガラシを発見。その畑の向かいの家に人がいたのでインタビューをしました。おばちゃんはブノン語の先生だったので、トウガラシ属の呼称などの単語の発音をローマ字で書いてもらいました。その後、だんなさんのおかあさんも参加。日本語が話せました。向かいの畑はおかあさんのもので、キダチトウガラシを観察させてもらいました。村を少し下ると商店があり、おばあさんがいたのでインタビュー。インタビューをしているとだんなさんが帰ってきたので参加してもらいました。だんなさんは日本語が結構うまかったです。おもしろいおじいさんでした。今度来た時はヤマブタ(日本語でこのように言っていました、イノシシのこと)をくわせてやるー、とガハハハハと笑っていました。

■卓渓の風景

■ブヌンのお二人(卓渓村)


■おばあさんとキダチトウガラシ

■黄緑タイプ(上)と緑タイプ(下)

■自家製のキダチの調味料(卓渓) ■ブヌンのご夫妻(卓渓)



 時間の関係上、卓渓の下部落はやめて、南安を目指しました。南安の前に玉里でお昼ご飯を食べました。牛肉麺。タクシーのおばちゃんがザーサイを加えてもらっていたので、僕もそうしました。まるで九州のトンコツラーメンに高菜を加える要領です。めっちゃおいしかった。お昼ごはんを終えて南山へ。まず、南安ビジターセンターへ行きました。そこにはタロコのおねえさんがカウンターにいたのでインタビュー。研究者ということでねばると、いろいろ貴重な本を出してきてくださいました。しかも全部ただでくれました。ラッキー。南安はちいさな村。少し歩くと家の敷地内に人がいたので話しかけてみました。あちゃー、おじいさん一人が泥酔でした。しかも日本語が話せるだけにたちが悪くめっちゃくちゃからまれました・・・。僕にいろいろと話しかけるし、大きな声で「ちがーう!」とか、「まてまてまて!!!」とか。その中をかいくぐって、あまり酔っ払っていないおじさんにインタビュー。そのうちにおじいさんは「原住民の服見るか?」と衣装をきて写真を撮れといいはじめました。また、イノシシの内臓がゆでてあったので、キダチトウガラシの調味料(蒸留酒とお塩とキダチトウガラシ)と醤油をあわせたタレにつけていただきました。メスイノシシのあごの骨も置いてありました。いろいろありましたが、非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。

■玉里の風景(タクシーの運転手)

■牛肉麺やさん(玉里)

■牛肉麺(玉里)

■南安ビジターセンター

■タロコの女性(受付の人)

■ブヌンの人々(南安)

■ブヌンの衣装で(南安)

■イノシシの内臓とキダチの調味料

■イノシシのあごの骨(南安) ■庭に播種されたばかりのキダチ



 次は卓楽へ向かいました。タクシーをおりてぶらぶら歩いているとおばあさんがいたのでインタビュー。タロコの人でこの村へお嫁に来たらしいです。そうしていると酔っ払ったブヌンのおじさんが乱入。だんなさんの弟らしい。結構よぱっらっていました。キダチトウガラシが畑にあるというので畑へ向かいましたが、その道すがら僕の腕をとり、くっついて歩くのです。おなかがぽっこり出ているので、汗だくのおなかに僕の汗だくの腕がくっつくというなんとも気持ち悪い、でもなんとも気持ちいい体験でした。畑でキダチトウガラシを観察させたもらっていると、雨が降り始めました。結構強くなってきたのでおじさんの家で雨宿り。そして次の村清水村へ向かいました。雨は一段落。村の奥に夫婦がいたのでインタビューをさせてもらいました。雨がまた降り始めたので足早に次の人を探す。その途中にキダチトウガラシ(自生か?)がありました。雨脚が強い。雨宿りも兼ねて商店へ入りました。すると今日の朝卓渓の商店へ配達に来ていたおにいちゃんがこの商店にも来ており、「朝あったねー」と言われました。商店の主人にインタビュー。孫があちこち走り回る。泣き虫で甘えん坊。家に二種類のキダチトウガラシが干してありました。

■卓楽村の風景

■タロコ女性とブヌン男性(卓楽)

■畑のキダチトウガラシ1(卓楽)

■畑のキダチトウガラシ2(卓楽)

■清水村の風景

■ブヌン女性(清水村)

■キダチトウガラシ自生1(清水村)

■キダチトウガラシ自生2(清水村)

■ブヌンの家族(清水村)

■キダチの調味料の商品(清水村)

■二種のキダチを別々に乾燥 ■ブヌンの子供(清水村)



・台東県海端郷(ブヌン)
 今日は山の中にあるブヌンの集落をめざします。池上付近は水田が多かったですが、山道に入ると水田がなくなり、いわゆる風光明媚な景色。川沿いの道をどんどんあがっていきます。かなりのスピードを出すおばちゃん運転手。山にはキャベツやピーマン、ネギ、ササゲ、カボチャなどの畑。もう少し高度があがるとお茶畑もありました。利稲村に着くと、村の一番奥から調査をはじめました。早速おばあさんを見つけたのでインタビュー。よくよく話を聞いているとタロコの女性でした。インタビューをしているとブヌンのおじいさんとおじさんが集まってきました。おじいさんにキダチトウガラシはないかと尋ねると自分の庭の畑にあるから、ということでそこへ連れていってもらいました。その庭にはhymuus(山胡椒)もありました。おじいさんは冷蔵庫から山胡椒入りのキダチトウガラシの調味料を持ってきてくれました。街中をぶらぶらします。それほど広くない町。ピーマン畑、茶畑、ササゲ畑。あまり人がいない。村の端っこに到達すると、ピーマンを箱詰めしている家がありました。仕事の邪魔になるかもしれないと思いつつ、インタビューをさせてもらいました。今はピーマン一箱400〜500元、しかし一週間前は800〜900元。最近たくさん取れすぎて値崩れしているようでした。そこの家ではキダチトウガラシが鉢植えにされていました。

■利稲村の景色

■ブヌンの人々(利稲村)

■おじいさんの畑のキダチ(利稲)
■キダチと山胡椒の調味料

■ピーマン(利稲村)

■ササゲ(利稲村)

■ピーマン箱詰め作業のブヌン ■キダチトウガラシの自家製調味料



 次に目指すのは霧鹿村ですが、タクシーの運転手が霧鹿にはご飯屋さんがないので、そこへいくまでの食堂で食べたほうがいい、ということでその店でご飯をたべました。そこではトマトの収穫を終え昼休みをしている集団がいました。集団を取り仕切っているおばちゃんがしきりに話しかけてくるので、すこしだけインタビューをさせてもらいました。お昼ごはん後、その店のすぐそばにある日本統治時代に作られたつり橋(補強はしてある)へ行き、渡ってみました。すごくいい景色でしたが、真ん中までいくと風が強く、怖くなって足がすくみました・・・。次の霧鹿村でも、また村の一番奥で降ろしてもらい、ぶらつきました。なかなか人が見つからない。新しい家を建設中のところで作業をしているおばちゃんがいたので話を聞かせてもらいました。その後、村の中を歩きまわりましたが人もキダチトウガラシも見つからない。炎天下の中、トマト畑の中を歩く。すると、トマト畑で必要のない脇芽をとる作業をしていたおばちゃんに声をかけてれました。そのおばちゃんは村の人ではなく、ピューマの人でした。なんとまた偶然なことに、タクシーの運転手とインタビューをしていたピューマのおばちゃんが知り合いでした。おばちゃんはタクシーの運転手にポーリータを買って来い、といい、そのポーリータとカルピスみたいなジュースを混ぜたお酒を僕は三杯も飲まされた・・・。関西のおばちゃんみたいやった。

■つり橋(霧鹿と利稲の間)

■つり橋からみた景色

■霧鹿の風景

■トマト畑(霧鹿)

■ブヌンの女性(霧鹿) ■トマト畑のピューマの女性(霧鹿)



 もう少し山を下った下馬へ向かいました。下馬の村ではすぐにキダチトウガラシが見つかりました。山の斜面にキダチトウガラシが何本も植えられていました。しかし誰の畑かわからない。そこですぐそばでイヌの毛刈りをしていたグループに話しかけました。するとその家の庭にもキダチトウガラシが生えていたので観察。なかなか気前よく話してくれます。この村や上の霧鹿にはサクラが生えており、12月くらいに満開になり観光客がたくさんくるそうです。たしかにここの店にもサクラが植えられていました。その後もう少し村をぶらぶらすると、おじいさんが休んでいたのでインタビューさせてもらいました。だんだん天気が悪くなって来て雨が降り始めました。タクシーのおばちゃんから電話がかかってくる。あんまり大雨になると土砂崩れの危険があるから、早く山をもう少し降りよう。そこでもう少し下の村、新武へ向かいました。新武では年寄りが集まっているところがあったのでインタビューを開始しました。75歳のおばあちゃんは日本語がうまい。結構理解できていました。残念ながらキダチトウガラシがなかったので、雨の中歩いて探しました。するとすぐに有刺鉄線の向こうにキダチトウガラシが見つかりました。そこでその家の奥さんにゆって観察させてもらい、少しお話を聞きました。


■列に植えられたキダチ(下馬)

■緑タイプ(上)と黄緑タイプ(下)

■下馬の風景

■小さな空間に植えられたキダチ

■ブヌンの女性(右)(下馬)

■ブヌン男性(下馬)

■ブヌンの人々(新武) ■ホームガーデンのキダチ(新武)



・台東県延平郷(ブヌン)
 台東県延平郷延平へ向かいました。植物の情報に詳しいブヌンの方々を紹介してもらったからです。いろいろなことを教えてもらい非常に勉強になりました。山胡椒には二種類あること、原住民が利用してきた植物の紹介など。山にキダチトウガラシが自生していると聞いたので、いざ山道を目指しましたが、歩いてみても自生を確認ことはできませんでした。そのまま車を進めていると、キダチトウガラシを植えている家があったのでそこでインタビューをしてみることにしました(鸞山村)。その家のおばちゃんはビンロウを噛みご機嫌でした。いろいろな質問に丁寧に答えてくださり、少し日本語も話すこともできました。いとこが日本へ嫁いだ、いまでも電話がくる、と話しており、日本人に対してすごく親近感があるようでした。キダチトウガラシの瓶詰めも持っており、酒と塩に漬けていました。
 

■ブヌン男性(延平)

■キダチ・蒸留酒・酒(調味料)

■ホームガーデンのキダチ1(真中)

■ホームガーデンのキダチ2(延平)

■ブヌン女性(鸞山村)

■キダチの調味料(上から)(鸞山)

■キダチの調味料(横から)(鸞山) ■キダチ(真中の木の左隣)(鸞山)



・高雄県桃源郷(南ツオウ、ブヌン)
 今日は桃源郷の調査。まず奥の村復興村から調査を開始しました。初め数人で集まっている人にトウガラシ属についてインタビューしてみましたが、あまり利用しない人々のようで、その人たちが「あそこの雑貨屋さんにキダチトウガラシあったかも」ということで、そこへ向かいました。雑貨屋さんへいってみると鉢に植えられたキダチトウガラシがありました。緑熟色が緑色、果実が小型で脱落性のある系統でした。店のおばさんを探しインタビュー。そうするとおばさんは、山に自生しているキダチトウガラシの実を持ってきて植えたらしい(旦那様が採ってきたらしい)。どこの山か、と尋ねると指をさして「あっちの山の裏側」と言う。行くことができないので自生の証拠確認はあきらめました。おばちゃんは自家製の漬け込んだキダチトウガラシを持ってきてくれました。米焼酎と少しのお酢で漬け込んだもの。少し味見をさせてもらったが、やはり香りがよく、そして辛かったです。

■鉢植えのキダチ1(復興村)

■鉢植えのキダチ2(復興村)

■ブヌン女性(復興村) ■キダチの調味料(復興村)



 次は勤和村へ向かいました。早速村人に話を聞くと、たまたまキダチトウガラシを栽培いていました。しかし認識としては、勝手に生えてきたものらしい。確かに一株は何かの物陰からニューっと生えていました。この人も山にキダチトウガラシが自生していると認識していました。その後村の中を歩いていると、キダチトウガラシを鉢植えにしたり、花壇に植えている人が多かったです。また、家の前のベンチの下からキダチトウガラシが生えていました。明らかに人間が植えたものではないと思いましたが、確認のためその家の人に聞いてみたところ、やはり勝手に生えてきた、と認識していました。これまでの北部地域とは明らかにキダチトウガラシを見かける頻度が高かったです。暖かく栽培しやすいためか(自生もしやすいからか)。キダチトウガラシをたくさん見ることができ、とても興奮しました。

■ブヌン男性(勤和村)

■キダチトウガラシ1(勤和村)

■イスの周りの自生キダチ(勤和) ■鉢で苗を育てているキダチ(勤和)



 次は桃源村。ここではまず昼食を取りました。ご飯が終わったあと、お店のおばちゃんにも少しキダチトウガラシのことを聞いてみました。気さくなおばちゃんでいろいろ話をしてくださり、この村にはブヌン以外に南ツオウの人もいることがわかりました。少し山を登った村にいるかもしれないから、そこへ行ってみたら?と教えてくれたので、早速その村へ向かいました。その村について一人のおじさんに南ツオウの方はいますか?と尋ねると、この村にはいないなー、という。あれ?まあいいか、ということで、そのおじさんにキダチトウガラシについて質問をしたところ、弟の畑にある、ということでそこへ行ってみました。畑へ行ってみるとキダチトウガラシが10株以上植えられていました。興奮して写真を撮っていると、一人の男の子が僕のために果実を一個一個丁寧に採ってくれては渡してくれます。中国語で何かを話しかけてくるのですが、何もわからないので、とりあえずもう一人の女の子と一緒に写真を撮ってあげました。デジタルカメラなので撮った写真をすぐに見せてあげると非常に喜んで、もう一回、もう一回とポーズを取っては写真を撮り、確認し、そしてもう一枚をねだられます。もう調査どころではありませんでしたが、まあそれもいいだろうと写真を何枚も撮ってあげました。一通り話しを聞いたあとおじさんの家へ行きました。家にはキダチトウガラシの蒸留酒漬けがあり、味見させてもらうとかなり塩辛かったです。醤油に漬けてあるキダチトウガラシもありました。あまりに興味をもって蒸留酒漬けのキダチトウガラシを見ていたせいか、なんと一本まるまるそのビンをくれました。感謝してもしきれません・・・。別れを惜しみつつ、昼食を食べた店へ戻り南ツオウの人がいないかもう一度聞いてみると、店にたまたまいた人の知り合いが南ツオウの方だったので、その家まで案内してもらいました。そこではキダチトウシを栽培していなかったので、言語のデータだけ頂き、そろそろ日も傾きかけてきたので帰路につきました。

■ブヌン男性(桃源村)

■畑に植えられたキダチ(桃源村)

■キダチとブヌンの子供(桃源村)

■キダチの調味料(桃源村)

■ちょけるブヌンの子供1(桃源村)

■ちょけるブヌンの子供2(桃源村)

■南ツオウの男性の家(桃源村) ■南ツオウの男性(真ん中)



・高雄県三民郷(南ツオウ、ブヌン)
 次の日の一日は民生郷で調査しました。まず一番山奥の民生二村から調査を開始。人が集まっている家へ行き早速インタビューを開始すると、たまたまその家の庭にキダチトウガラシが植えてありました。山に野生で生えていたものを引っこ抜いてきて植えた、といっていました。この家の人たちは狩に出かけるため、山の情報は確かと考えられます。彼らが言うには、山のトウガラシ(キダチトウガラシ)を鳥が食べ糞をするがその場所(土地)に合う時しかうまく育たない、ムササビを取りにいくような山奥にはトウガラシは生えていない、とのこと。これら非常に的確な認識で、さすが山の男たち、といった感じでした。別れ際、酔っ払ったおじさんが昨日捕まえたというムササビを抱っこして持ってきました。ペットみたいに抱っこしているため初め生きているのかと思っていましたが既に死んでいました・・・。次の村へ向かう途中、一箇所でキダチトウガラシを栽培していたので訪ねてみました。その人は漢人であったため言語のデータは手に入りませんでしたが、トウガラシの話を聞きました。ニンニク、醤油、米焼酎などで漬け込んだキダチトウガラシを持っており、味見をさせてもらったところとてもおいしく、ご飯に合いそうな味でした。麺などにかけて食べるらしいです。

■キダチトウガラシ1(民生村)

■キダチトウガラシ2(民生村)

■ブヌン子供(何してるのかなー)

■ブヌンおじさん(とムササビ)

■ブヌンのおじいさんと子供

■キダチトウガラシ3(民生村)

■キダチトウガラシ4(民生村) ■キダチの調味料(民生村)



 次の民權村へいくと、小学校の脇の花壇や、家の花壇にキダチトウガラシが植えられていました。前日の桃源郷と同じく、この民生郷でもだいぶキダチトウガラシが利用されているようでした。人を探して歩いていると丁度雑貨屋さんがあり、そこのおばちゃんにトウガラシ属についてインタビューしました。そのおばちゃんが民生一村に南ツオウの人がいると教えてくれたのでそちらへ向いました。その村で人に尋ねるとあっちのほうに住んでいるよ、と教えてくれたのでそこへ向かい、ご飯屋さんでショウガの皮を剥いていたおばちゃんに話を聞いてみると、その方が南ツオウの方でした。早速トウガラシ属の話を聞きました。昔は野生がたくさんあったが、最近はほとんど見ない、と言っていました。日本語は話せないが、耳で聞けば少しはわかるらしく、お父さんやお母さんが日本語で会話していたこともあり、日本語に親近感があるようで、にこにことうれしそうに質問に答えてくれました。丁度お昼時だったので、そのおばちゃんのお店でご飯を頂きました。麺類と野菜炒めを頼み、サービスで豚の顔の燻製?も出してくれました。おなかも満腹になったので、お金を払って行こうとすると、おばちゃんは「お金はいらない、受け取れない」といいます。いやいやそういうわけにはいかない、といっても受け取らない。「お母さんみたいなものだ、受け取れない、日本からはるばるやってきてくれたのに受け取れない」といいます。そのご好意を受け入れ、何度も頭を下げてその場を後にしました。

■花壇に植えられるキダチ(民權村) ■南ツオウのおばちゃん(民權村)



 次に民族村へ行きました。初めに聞いたおばさんはキダチトウガラシを乾燥させたものを持っており、苗も作っていました。このおばちゃんも山にキダチトウガラシが自生している、と言い、山からキダチトウガラシを採ってくることもある、といっていました。また面白い話として、キダチトウガラシは非常に辛いが口の中が一瞬辛いだけでその後は問題ない、だが長いトウガラシ(C. annuum)はあまり辛くないにもかかわらず、食べ過ぎるとうんこするときにおしりがとっても痛い、と言っていました。面白い認識の仕方です。村の中をぶらついていると洗濯中のおばあちゃんがいたのでお話を聞きました。そのおばあちゃんも山に行けばキダチトウガラシがある、と言うので、そのインタビゥーの後山(丘)へ目指して歩きました。たまたま小学校の裏山へ行く小道があったのでそこにキダチトウガラシがないか探してみました。すると五分か十分くらい歩くとキダチトウガラシを発見!やっぱり本当に自生がありました。赤い実が少なく、他の草に紛れ込んでおり、初めはよくわかりませんでしたが、ん?と思ってよく見てみるとキダチトウガラシでした。道路が舗装されていない頃はもっとあちこちにキダチトウガラシの自生があったのだろうなー、と勝手な妄想に耽っていました。もう少し奥まで歩いてみましたが、キダチトウガラシの自生を発見するまでには至りませんでした。でも、たったひとつでも自生のキダチトウガラシが見つかったという事実は、村人の「キダチトウガラシは山にある」という証言を裏付けており、非常にうれしい調査結果となりました。空気もよく、緑も多く、気持ちがよかったー。

■ブヌン女性(民族村)

■キダチの苗を育てる(民族村)

■民族村の風景

■ブヌン女性(民族村)

■キダチの自生があった小道 ■自生キダチトウガラシ(民族村)



☆中部に住む台湾原住民のトウガラシ属・ショウガ・山胡椒のまとめ
 北部地域の原住民と異なり、南ツオウ・ブヌンのトウガラシ属の呼称はショウガと違いました。つまり、トウガラシ属に何かしらの特別の名前が与えられています。ブヌンの一部の人々は、トウガラシ属を「mahaf mahaaf 」と呼び、ショウガ「luuluk」ではなく、山胡椒「luukis mahaf (luukis:木の)」と同じ名称をトウガラシ属に用いていました。台東県延平郷のブヌンの方によると、もともとブヌンの山胡椒の名前には二種類あり、標高が高いところとそれよりも少し低いところに分布する樹木から採集できる果実をそれぞれ「mahaf」、「hymuus」と呼んでいたらしいです。しかし、現在彼らが住んでいる地域には「mahaf」は分布せず、「hymuus」は分布するもののあまり利用しないとのことでした。「私たちの祖先は昔もっと北に住んでいたが南に移動してきた」とも彼は言っていました。李(1999)は、現在高雄県や台東県に住んでいるブヌンのグループは、南投県魚池郷日月潭(南投県仁愛郷のすぐ南に位置する)あたりを出自とし、そこから現在の場所へ南下してきたと考えています。彼らの祖先が南下する以前からトウガラシ属を利用していたかどうかは不明です。ただ、彼らの出自に近い南投県仁愛郷や花蓮県の北部に住む人々がトウガラシ属を「lapuut」,山胡椒を「makaw」「hymuus」と呼ぶのに対し、高雄県や台東県など南へ移動してきた人々がトウガラシ属を「mahaf」,山胡椒「hymuus」と呼ぶのは興味深い事象です。
 トウガラシ属の一般名と果実が小型のもの(キダチトウガラシ)を区別する呼称なく、「小さい・大きい」という形容詞を付加して表現していました。

(台湾原住民すべてのまとめはここへ


☆南ツオウ・ブヌンの呼称のまとめ☆




(Reference)
山本宗立 2006. 台湾原住民が利用するキダチトウガラシ. 日本熱帯生態学会ニューズレター 65: 1-7.
Sota Yamamoto 2006. Capsicum frutescens L. used by indigenous peoples in Taiwan. Tropical Ecology Letters 65: 1-7.


李壬癸 「臺灣原住民史 語言篇」 1999 臺灣省文獻委員會 南投


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